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デビッド・テイラー("Squire" David Taylor、1957年5月1日 - )は、イギリス・ヨークシャー出身のプロレスラー(生年は1955年ともされる〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P71(2002年、日本スポーツ出版社)〕)。 デイブ・テイラー(Dave Taylor)の名義でも知られる。1990年代よりアメリカに進出し、WCWやWWEで英国貴族ギミックのヒールとなって活動した。 == 来歴 == オリンピック選手でもあった祖父ジョーとプロレスラーの父エリックの指導を受け、1974年にスウェーデンでデビュー〔。 1977年1月には、ピート・ロバーツとの英国人コンビで新日本プロレスの『新春黄金シリーズ』に初来日している。同シリーズはスタン・ハンセンが新日本マットに初参戦したことで知られているが(シリーズのエースはタイガー・ジェット・シン)、テイラーはシリーズ開幕から1週間後に急性盲腸炎を患い、日本で摘出手術を受けて緊急帰国を余儀なくされた〔スタン・ハンセン著『魂のラリアット』P160(2000年、双葉社、ISBN 4575291080)〕。なお、昭和期の新日本プロレスには1985年3月の『ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾』にも来日している。 イギリスではリヴァプールを拠点とするオールスター・プロモーションズ(現在のオールスター・レスリング)を主戦場とし、ベビーフェイスのポジションでビッグ・ジョン・クインや初代ケンドー・ナガサキとも対戦。1991年4月6日にはデイブ・フィンレーからブリティッシュ・ヘビー級王座を奪取している。オットー・ワンツが主宰するドイツのCWAにも遠征し、同年12月21日にクリス・ベノワ、1993年7月18日にミレ・ツルノをパートナーに、同団体認定の世界タッグ・タイトルを2度に渡って獲得した。 1995年にアメリカへ渡り、WCWにて同じく英国出身のロード・スティーブン・リーガル(現ウィリアム・リーガル)が結成していたタッグチーム・ユニット、ブルー・ブラッズ(The Blue Bloods)に加入。スクワイア(Squire)をニックネームに、リーガルのパートナーとなって嫌味な英国紳士のヒールを演じた。以降、1990年代後半はWCWを主戦場に、リーガル、クリス・アダムス、英国時代のライバルでもあったデイブ・フィンレーらと共闘。1996年10月にはWCWとの提携ルートで新日本プロレスに久々に来日し、リーガルとのコンビで『SGタッグリーグ戦VI』に出場した。1997年11月23日にミシガンで行われたPPV "World War 3 1997" にもリーガルと組んで出場し、スタイナー・ブラザーズ(リック&スコット・スタイナー)のWCW世界タッグ王座に挑戦している。 2001年のWCW崩壊後はWWFと契約し、当時WWFのファーム団体だったOVWのトレーナーを担当。レスラーとしてもWWFのダーク・マッチに度々出場した。2004年にはTNAにも登場したが、2006年よりWWEと再契約。ファーム団体DSWのトレーナーを経てスマックダウンの所属選手となり、WCW時代の盟友ウィリアム・リーガルとブルー・ブラッズのギミックを再現し、WWEタッグ王者のブライアン・ケンドリック&ポール・ロンドンと抗争。2007年4月からはケインとの抗争アングルも展開された。 リーガルのRAW移籍後はポール・バーチルやドリュー・マッキンタイアとコンビを組んでいたが、2008年4月28日にWWEを解雇された。以降はイアン・ロッテン主宰のIWAミッドサウスやチカラなどのインディー団体に単発出場したほか、英国に戻りオールスター・レスリングにも参戦している。2011年4月2日にはジョージア州アトランタで行われたROHのPPVイベントにてコルト・カバナと対戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デビッド・テイラー (プロレスラー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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